「犬とうんこ」えんちょうだより まんごの木

2015年度

日本ではそろそろ桜の花が美しい季節になりました。シンガポールでは桜は咲きませんがブーゲンビリアやプルメリアの花が美しく咲き誇っていますし、家の街路樹からは綺麗なピンクの花がはらはらと落ちてきています。美しい街に住むことができて幸せに思います。

春休みは新年度準備で忙しいと言うこともありますが、休みが明けて、子どもたちの声を聞くとホッとします。「えんちょうせんせいーー。」子どもに抱き付かれたり、ハイタッチしたり。ありがたい仕事です。幸せな仕事です。お子様をEISに通わせて頂きありがとうございます。心からお礼を申し上げます。

2015年度よりマネージメントの人事も少し変更になります。イースト校のかよ先生にはイースト校だけではなく、イースト、ウェストの両校の教務、運営を見てもらいます。それに伴い、かなこ先生にはクラスを持たずにイースト校全体を見てもらいます。れい子先生、園長は今まで通りです。ジョー先生にもまだまだ手伝ってもらっています。「子どもたちの今と未来の幸せのために。」更に更に進化していきたいと思っています。どうぞ宜しくご指導ご協力お願いいたします。


最近、13歳になる犬とスローランニングを再開しました。この犬ブルースはミニチュアシュナイザーで子犬のころは本当に可愛い犬でした。年を取り、アトピー性皮膚炎になり毛をカットしてしまい何とも貧相になってしまいました。「お互いだいぶ疲れてきましたね。」そんな思いで夜の道を走っています。

実はブルースを連れていくことはあまり好きではありません。散歩中、何度もうんこをするのです。しかも、ごみ箱のないところで。走っていても急に足を踏ん張り、ポロッと。その度、持ってきた新聞紙で取り、それを摘まんだままランニング、ごみ箱に到達する前にまた急停止。そしてポロリ。やっと公園のごみ箱に捨て「さて、ここでならいくらでもしていいよ。新聞紙はたっぷりもっているし」とじっくりと構えて待っていると、素知らぬ顔。もう全て出しましたという顔。それならばと、走りだし公園から出てしばらくするとまた、急停止、ポロリ。次のごみ箱まではまだ遠いので公園に戻り捨てる。「おいおいブルース君。さあ、ここでしなさい。」待っていると、まったくその気配はなくなります。また走り出し、先ほどよりは進むものの、また急停止、ポロリ。「いい加減にしろ――!!」「何度言ったらわかるんだ――!!」怒り爆発。リードを強く引き顔を覗き込みブルースを見ると何とも情けない複雑な表情。「申し訳ない。」とも「仕方ないじゃん。」とも「うるせーなー」とも取れる顔をしています。川沿いの遊歩道にもごみ箱はたくさんあるのにそこでは涼しい顔で走り、ごみ箱のないところでポロリ。ランニング中、半分はうんこ新聞紙を摘まんだまま。家に着くころは犬と飼い主は犬猿の仲。そんなことを2,3日続けた後、どうせ摘まんで走るなら走りやすくするためにビニール袋を持って新聞紙も小さめにして何回うんこをしてもそれに入れて走ればいい。なんならリードに結び付けて。これなら何度うんこされても気持ちよく走れるぞと実行しました。すると何とも気持ちのいい夜のランニングが楽しめるのです。ブルースに対しても優しくなれるし、愛情をかけられる。禿げた老犬が愛おしくなってきます。「ごめんね。付き合ってくれてありがとう。お互いまだまだ頑張ろうな。」そんな気持ちになりました。愛情がきちんと出せると心が豊かになります。ストレスも消えていきます。嬉しいことがさらに発見できます。

頭に来るとき。怒りを爆発するとき。原因は自分の知恵の足りなさのように思いました。「いい加減にしろ。」「何度言ったらわかるんだ。」自分の口から出た言葉は、そのまま、神様から言われている言葉のような気がしました。「自分の知恵の無さ、傲慢さを人のせいにするんじゃない。怒る前に自分にもっとするべきこと、出来ることがあるんじゃないのか。」「いい加減にしろ。」「何度言ったらわかるんだ。」

特に子どもに対しての怒りの原因は自分の知恵の足りなさを責任転嫁させている自分の中の傲慢な気持ちなのでしょう。「何度言ったらわかるんだ。」逆に言えば何度言ってもその言い方や言葉では解決しないことの証明でしょう。だったら、自分の言い方や態度を変えるしかないのですね。

自分自身もう少し早く気が付いていたら、息子にももう少しいい父でいられたかもしれません。遠くで暮らす息子にすまない気持ちです。反省、反省

2015年4月7日
園長 峯村敏弘