素直になろうよ3

素直に信じて見たい幸せになる為に生まれた
負えない以上の苦しみは与えない

心の持ちようで病気にもなってしまうのです。逆に言えば心の持ちようで病気は治ってしまうそうです。
たくさんのご家族の話を聞く機会が多くあります。良い事も悪い事も、悲しい事も嬉しい事もあります。 久し振りに妻と台所で食器を洗いながら、色々な話をしました。仕事の事、息子の事、政治の事まで話をし、とても豊かな気持ちになりましたし、妻の知らなかった部分というより忘れていた事をたくさん思い出しました。ヨーグルトが食べられるようになったと聞いて、妻がヨーグルトを食べられなかった事を思い出しました。随分長い間、このような場面はなかったのです。30年前の結婚したての頃は、多分毎日のように時間が持てていたのだと思います。豊かな時間を過ごしていたのだと、つくづく思います。普段はお手伝いの方が全て家事をやってくれるので、自宅で皿を洗う機会はほとんどありません。楽に暮らせるという事は1番豊かな物を遠ざけてしまうのかも知れません。

自分が子どもの頃は、旅行といえば自家用車のスバルに乗って、父が地図に書き込んだ赤鉛筆の跡を指差しながら右だの左だの言いながら「あ!通り越した〜」と大騒ぎしながら目的地を目指したものでした。前の晩から父とたくさん話し合い、道を想像しながら「頼んだぞ!」なんて言われるととても誇らしい気持ちになったのを覚えています。それが今ではカーナビゲーション一発で全てが解決してしまいます。確かにとても便利になりましたが自分は息子と地図を広げて「頼んだぞ!」と言ったことはありません。何だか寂しい気がします。

幸せを考える時に、自分自身の若い頃とは考えが随分と違ってきている事に気が付きます。息子が生まれたばかりの頃は、お金が無くどうしたら少しでもお金が儲かるかを一生懸命考えていました。楽に努力をせずにお金になるか。  つまり、楽に結果が出る事ばかりを求めていました。しかし、今までの経験を振り返ってみると、多少多く収入があれば何かと出て行ってしまう。いい時もあれば悪い時もある。結果を気にして一喜一憂しても始まらないので、今を楽しむことが一番の幸せなのだと思います。幸せは結果では無く、幸せと決めること。それが幸せになる秘訣なのですね。

過程が大事で、そこにこそ幸せが有ると確信を持って言えます。過程とは今この時の事です。とても幸せな毎日を送っています。たくさんの子どもたちと、長年一緒に働いてきたスタッフに囲まれて、有り難く幸せな時間を持てています。この毎日の幸せな生活に結果は無く、日々の暮らしが幸せそのものなのです。幸せとは子どもの泣き声だったり、家族で散歩だったり、並んで皿洗いだったり、信号待ちで見た夕陽だったり、日々のそんな一コマが幸せなのです。

自分自身の最高に幸せだった瞬間を考えてみました。初めてギターを買った時、初めてローリングストーンズのコンサートに行った時、子どもが生まれた時などなど、色々とありますが、一番は夏の日の日曜日、子どもを庭で水遊びさせているシーンが一番幸せだった映像として浮かび上がって来ます。普通の日曜日の普通の日の普通の出来事です。

幸せとは一体なんでしょうか?

答えは定義づけられるものではないと思いますが、今のところ思う事は、人の価値観に左右されず、嬉しい、幸せだと思えることなのでしょう。それを時間が経って振り返った時に本当の幸せになるような気がします。緩い感じで幸せだな、なんて思いながら時間を過ごせる癖を付けたいと思います。そして、幸せそうな園長の顔を見られたら、正しかったんだ!と思って下さい。