幸せの花は何処で咲く

「罪を憎んで人を憎まず」

この言葉を聞いたのは小学校の頃だと思います。誰かにとても怒っていた私に父が言ったのです。なかなか怒りはおさまらなかったものの、勉強をして大人になると、喧嘩をしてもまた仲直りできる方法がある事を教えられ深く感動しました。実際の社会はそんな事では殆ど通用しませんが、嘘を教えられたとは思いません。

脳梗塞で倒れた父の口癖は「ありがとうございました。」でした。どんなことに対しても「ありがとうございました。ありがとうございました。」と手を合わせます。そうなった父に対して初めの頃は、しっかりしてくれよ、と寂しい気もしましたが、今ではそんな父の気持ちがわかる様な気がします。優しい父でした。子どもの頃に言われた「罪を憎んで人を憎まず」は他の人々はどうであれ、私にはそう思う人間になって欲しかったのだと思います。コロナ禍で不満を言っている自分に嫌気がさした時ふと思い出しました。

父ほど温厚にはなれないですが、何でも右と左、賛成か反対かに集約し物事の本質よりも人に対しての誹謗中傷合戦には辟易(へきえき)とします。「人を憎んで罪を憎まず」になっている様に思います。オリンピック開催、賛成ですか?反対ですか?緊急事態宣言は?今の政権は?こちらこそ正義と思うと反対側の人は悪い人に見えてきます。ですから拳を振り上げて叫びたくなります。子どもたちの未来の為に正義でないものは正さなければならない!でも、ふと子どもたちを見ると、こんな事を思っている園長先生は好きではない様です。子どもたちには「いつも仲良くした方が楽しいよね」と言っています。「相手の気持ちを考えると仲良くできる方法が見つかるよ」と言っています。目的は楽しく幸せになる事です。正義と不義を対立させる事こそが不幸なのです。絶対的な正義など無いのです。ましてや自分の考える正義など意味がありません。お互いの一致点を探しましょう。みんな同じ船に乗っているのです。自分が引いたその場所に幸せの花はそこで咲くのです。子どもたちの未来に花を咲かせましょう。