「55歳の誕生日」えんちょうだより まんごの木

5 月でめでたく??55 歳になりました。55 歳と言えば花束をもらい会社勤め最後の日という印象があるのですが、自分が引退するには、まだもう少し修行が必要なようです。息子からビールとソーセージセットのプレゼントが送られて来ました。絵とかカードをもらった事はありましたが、物のプレゼントは小学校の修学旅行で買ってきてくれた小さな懐中電灯以来です。嬉しい気待ちを押し隠しいたって平生に息子にありがとうの電話をかけました。息子いわく、ガソリンスタンドでアルバイトをしていて、タイヤを沢山売ると歩合でボーナスが貰えるのだそうです。歴代のアルバイトの中で一番多く売っているそうで、「タイヤを売る事は僕の天職かもしれない」意気揚々と自慢げに言うのです。楽しそうに充実した生活を送っている様子が手に取るようにわかり、更に嬉しい気持ちになったのです。しかし、微笑ましい気持ちとはうらはらに。「折角、インターナショナルスクールを出て英語が話せるのだから、英語を教えるとか、何処かのオフィスで英語を使った仕事をするとか考えないかなー。体も楽だし時給だってガソリンスタンドよりはいいに決まっている。」と少々複雑な気持ちになっていました。そんな時横にいた母が、「まー太郎は凄いね。お父さんに大好物をプレゼントして、、、、」嫌味を言ったわけでではないのですが、自分が大学生の頃 親にプレゼントなんかしていなかったことを思いました。印刷屋の家業の手伝いをしていましたが、いつも職人上がりの父とはもめていました。その間を取り持っていたのが母です。自分と比べたら、充分立派に生きています。息子は真っ直ぐに育っています。生き生きのびのび生きています。息子の成長よりも自分が親としての成長が劣っている事を感じました。

親が子供に望む物は、偉くなって欲しい訳ではない。お金持ちになって欲しい訳ではない。生き生きのびのび、自分らしいと感じながら幸せに生きていって欲しいのです。「折角~だから。」はあまり意味を持たないのですね。そんな過去のことに囚われず、目の前の現状で出来ることを精一杯やることが幸せなのですね。精一杯やれるところに幸せはあるのですね。還暦まで後五年。もう少し煩悩の取れた親になっていたいものです。「それはすごいね、お客様に喜ばれる仕事が出来ているんだね。でも、学校の単位も落とさないようにね。ありがとう。」「それは、わかっているよ大丈夫!!」だそうです。親に認められる事が子どもの自信 それが生きる力になるのだともう一つ教えられました。とてもいいプレゼントでした。

2015年6月2日
園長 峯村敏弘