幸せの花はどこで咲く2

私は毎日、子どもたちの笑顔に救われています。自分の失敗に嫌気が差している時も、思う様に物事が進まず怒りを覚えてイライラしている時も、子供たちは自分を見つけると「園長先生だ」と言って嬉しそうに近づいて来てくれます。その子どもたちの笑顔パワーで落ち込んだ気持ちは吹っ飛び元気になります。本当にありがたい仕事だと思います。子どもたちはどんな状況でも、そのまま現状を受け入れ順応し、最大限に楽しんでいるのです。見習わなければいけません。ふと、聖書の言葉を思い出しました。『自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ』。そのようになりたいと思いました。

生きていれば毎日判断しなければならない事があります。小心者の自分は迷いに迷った挙句やっと判断しても、違う方法が良かったのではないかと後悔や心配してしまいます。当然、ストレスも増しますし、楽しめなかったり、失敗してしまったりします。冷静に上手くいかない原因を考えてみると優柔不断にあるのだと分かります。優柔不断は欲張りの証拠だと聞いた事があります。あちらも良いし、こちらも良いのです。両方欲しいと思うから決められず優柔不断になるのです。しかし、考え方を少し変えると、あちらも良いしこちらも良いのなら、どちらにしても良い事には変わらないと言う事です。決めたことを楽しめたり、成功に導いたりするのはその選択したこと自体ではなく、決めたことに自信を持って迷いなく進んでいくか、いつまでも不安がって集中できないか、の違いなのだと思います。どんな事でも判断した時点では成功も失敗も何も決められていないのです。結果はその後の態度によって決まるのでしょう。先行きが常に不透明な時代ですが、自分の運命を信じましょう。そのままを素直に受け入れれば幸せにしかならないのです。子どもたちの様に現状をそのまま受け入れ、反応し、迷いを捨てて真っ直ぐに思いのままに行動していきたいと思います。自分の運命、神様、など自分の信じるものに感謝し信頼し生き生きのびのび楽しんで進む道に幸せの花は咲くのでしょう。