「そばに居るだけで(愛情の循環)」えんちょうだより まんごの木

新学年が始まって2ヶ月が過ぎようとしています。少々戸惑いがちだった子どもたちも段々と生活に慣れてきた様子で、更に思い切りの笑顔を見せてくれています。そして、ハイタッチ、抱き着いてきてくれて、お尻を叩いてくれて、少し疲れ気味の園長に元気をたくさん与えてくれています。本当にありがたい次第です。「子どもたちの今と未来の幸せのために」お気づきの点がございましたら是非、教えて下さい。

5年ほど前、突然のひどい頭痛、薬を飲んでも全く効かず、これはいつもの偏頭痛とは違うと思い病院へ,髄膜炎との診断され、そのまま入院となりました。その時期はちょうど息子の大学受験期間と重なっていたので、妻子は日本にいて、一人での入院となりました。

入院し、薬が効いている時は、ほぼ普通の状態で仕事もできるし DVD も観られて、「素敵な園長室だ。」なんてお気楽に過ごし、普段のミーティングもしていました。しかし、3日程すると激しい痛みが襲って来ました。その状況での痛み止めは効きません。そんな苦しいさなか、息子が日本から帰って来てくれました。母から託された果物を一杯に持って。息子がそばに居るだけで自分が父親である事を思い出し、少し強くなれます。自分の事だけでなく息子がちゃんとご飯を食べているかが心配になります。この後の用事がないのか気になります。「適当に帰っていいぞ。」「いや、この為に帰ってきたのだから大丈夫。」暖かい気持ちになります。そしたら、あれだけ苦しかった痛みが少しずつ薄くなって行きました。そして、知らない間に眠る事が出来ました。その後も、息子は毎日せっせと父の好物を持って病院に来てくれました・・・。とはいかず、一日おきが三日に一度になり、用事があるときだけ来る事になりました。でも、そばに居るだけで愛情の循環はおこるものなのです。

愛情とは血液のようなものです。ある事が大切なのではなくて使う事が大切なのです。その循環が止まってしまうと、どんなに量が沢山あったとして腐って使い物にならなくなります。愛情が腐った状態になると精神的に不安定になります。暴力的になります。引きこもりになります。

殆どの場合、貰う愛情が足りない事は無いようです。大体が出し渋りと言うよりも愛情のだし方が分からず知らぬ間に堆積しているのだと思います。出し渋るとどんどんだせなくなります。逆に愛情を出し始めるとどんどん出るようになります。堆積していたものが流れ出し、次に自然とどこからか新鮮な愛情が入ってきます。新鮮な愛情で満たされると心も身体も元気に力強く健全に成長し始めます。先ずは、笑顔で挨拶したり、優しい言葉をかけたり、どうしようかなと思った事はやってみたりすることから始めたいと思います。

2017年5月17日
園長 峯村敏弘