先日、日本に本帰国する友人からシンガポールを離れる最後に食べたいものを聞かれ、「イーズのチキンライス」と答えました。では人生の最後の食事は何を選びますか? 私は卵かけごはんです。炊きたて白いご飯に卵と醬油をかけて混ぜるだけでもうこの上ない至福のひと時です。
ふと私が子どもの頃に味わったような美味しい卵かけごはんが今、食べられるのかと考えました。私の卵かけご飯のルーツは母の実家、群馬の草津温泉の近くにあります。そこで飼っていた鶏の産みたて卵を取りに行き、田んぼで収穫した米を薪で炊き、祖母の笑顔と共に食べたあの卵かけごはんです。今は八ッ場ダムになってしまい、祖母も他界しました。人生で一番おいしいと思っているものは素材の味が生きているものなのだと感じました。
素材の「素」と言う漢字には「基となるもの、手を加えていない」という意味があるようです。中華もイタリアンもフレンチもおいしいとは思いますが、やはり私の究極の食事はシンプルな卵かけごはんに辿り着きます。手を加えたものにはいつか飽きてしまい、最終的に求めるものは素なのでしょう。
子どもたちを見ているとすべての「素」は備わっています。どの子どもを見ても素晴らしい「素」です。その素晴らしい「素」を真っすぐ太く丈夫にすることが大切なのですが、残念なことに親や先生はどうしても余計な化学調味料をかけたり、合わない素材を無理に混ぜようとしたりして素材の良さを殺してしまっている事が多い気がします。先生と呼ばれる人間の役割は自分の枠に囚われて思い通りに子どもたちを躾けたり、言う事を聞かせたりするのではなく、絡まっている部分を解きほぐし、上手く考えられない思考を整理してあげる事ではないでしょうか?もともと素晴らしい素を持っている子どもたち。その素にもっと純粋に自信を持たせ、素の良さを最大限に引き出すお手伝いをするのが親であり私たちの仕事なのだと思いました。