「よかったね」えんちょうだより まんごの木

母が股関節の手術をすることになりました。主治医の先生は以前、両膝の手術をして下さった先生で、その腕に関しては何も心配はありませんでした。しかし、心配な点が一つだけありました。それは手術を受ける本人が少しでも痛みが和らぐと「もう手術しない」と言い出しかねないと言う事でした。そして母からの電話で「今日は痛くてね…」と言われた瞬間、不謹慎とは思いましたが「よかったじゃない?」と言葉が出てきました。

続けて「痛みが和らいだら、きっともう手術しないって言うから、痛みは手術を怖がらなくするためのおまじない」と、自分でもなかなか良いセリフが言えたと思いました。すると母は「そうなのよ。3日前随分と痛くない時があって、何て言って手術を断ろうか考えていたところだったの」と、案の定そんなことでした。

人は自分の思った通りに物事が進むと幸せと感じ、思った事と違うと不安になり自分は不幸だと思ってしまいます。しかし、それは長い目で見た時の幸せや不幸とは違います。この場合、母は痛みという不幸があり初めて手術を自分で決断出来たので、ある程度の痛みは手術を迎えるに当たり必要でした。「それは大変だね、痛くて困ったね、かわいそうに」と言ってしまえば不幸を受け入れてしまい、お互い気分は落ち込んだことでしょう。

私はどんな不幸も幸せに変えられることが出来ると信じています。そのキーワードは「良かったね」の言葉のパワーだと思います。どうして良かったのかは、言った後考えればいいのです。一見、無責任に感じますが、かわいそうにと不幸を肯定してあげるより「よかったね。大丈夫、大丈夫、これはいい事の始まり」とマイナスをプラスに代えて気分を明るくする方が何十倍も楽しいと思います。

全てのことに応用出来るか確約出来ませんが、ほとんどの困ったことは、「それはよかったね!」と言ってからプラスになる言葉を考えていくと、本当に良かった点が思いつきます。おかげ様で、現在母は手術後元気にリハビリ生活を楽しんでいます。

一番の戦略は戦わない事

意見の違いがあった時、目的を忘れて戦ってしまうことが良くあります。プライドや意地の張り合いになってしまうと、結論はなかなか出ませんし、やっと落としどころを見つけたとしてもお互いに気分は悪いものです。親子喧嘩、夫婦喧嘩はその様な類のものがほとんどでしょう。

「知性を磨く」と言う本の一説に「戦略」とは、「戦い」を「略はぶく」こととありました。つまり喧嘩で戦って相手を打倒し勝つのではなく、いかに戦わずに気持ちよく納得させられる方法を考えるかが戦略と言う事になります。

たいてい子どもを叱る時はもう既に叱る準備が出来ていませんか? 例えば、子どもがまだ宿題も終わってないのにゲームをしていると、叱りたいという気持ちがむくむくと湧いてきて「宿題は終わったの?」とつい喧嘩の引き金を引いてしまいます。こう言われると、子どもは怒られたくないために「終わったよ」と、とりあえず一時凌ぎの返事をします。そうなると子供を嘘つきと叱る戦が始まり、このように叱られた子どもはすっかりやる気をなくしてしまいます。

この場面で戦略を立てるのであれば、ひと区切りついた頃にお菓子でも持っていき、一言「宿題で困ったら手伝ってあげるよ」くらいに留めておきましょう。「うちの子は放っておいたら何もしませんよ!」とのお声もありますが、親が子どもにする一番の仕事は子どもを自立させることなので、その目的を達成するには、「自ら考えて行動し責任を取らせる」しか方法はないのです。

これができないと将来一番苦労するのは、愛する我が子なのです。叱りたいときそれを我慢することは簡単ではありません。でもその時に気付いてほしいのです。実は、子どものために叱っているのではなく、自分が叱りたいから叱ったのだと。子どもを変えようと思ったら、先ずは自分の意識を変えてみると、もっと子どもの素晴らしさにも気付けるようになります。自分も子どもも家族全体が笑顔になれるはずです。

2020年2月24日
園長 峯村敏弘